大見本市の企画・運営

業界最大級の大見本市を年2回開催

毎年1月と9月の年2回、エコール事務機チェーン並びにエコール・スティショナーズ・チェーンとの共催で、当社グループの大見本市を開催しています。
当大見本市は1964年11月に山三事務機株式会社主催として開催されたものが、その後定期化され1967年からは年2回開催となって現在に至っています。
101回からは東京流通センターに場所を移し、出展社数約170社のご協力を頂き、販売店は約1400店2300人がご来場される業界随一の規模となっております。毎回、時節に合ったテーマを掲げ、関心が高くなることを先回りして独自の企画を立案しております。
出展社任せにせず、エコール独自の工夫を凝らしており、イベント館ではテーマを絞った提案、セミナーも開催しています。
また近年は、出展社横断の共同プロモーションにも力を入れており、商品の「売り方・見せ方・伝え方」を提案し価値ある商談会になるよう努力しています。

 

エコール大見本市の歴史

黎明期

1964年、文具・事務機業界初のボランタリーチェーンである「エコール事務機チェーン」誕生を受け、同年6月、同チェーンの本部機能を有する新会社「山三事務機株式会社」が設立されました。その年の11月山三事務機創業記念として日本橋浜町の紙商会館において、第一回の大見本市が開催となり、出展社43社、来場者350人、売上27百万円という結果となりました。
翌1965年は秋葉原YKKビルに会場を変え、山三事務機を含む山三連合主催で第二回大見本市を開催し、1966年には、仙台山三設立を受けて福島県飯坂温泉にて第三回を開催。1967年以降は、現在と同じく初春と秋の年二回開催となりました。

 
↑1964年に紙商会館で行われた第一回大見本市(左)と来場客でにぎわう1966年の第4回大見本市(右)

石油ショック

1973年1月・9月には、同業卸であった利見商事株式会社との合同見本市が行われました。いずれも過去最高の99社が出展し、来場者・売上は、1月が2910人・13億4百万円、9月が2585人・16億49百万円を記録しました。
しかし同年10月からの第4次中東戦争を受けて石油ショックが発生し、国内ではインフレが加速、1974年初春の大見本市は、初めて開催を中止することとなりました。ただし、2月以降には景況感も好転し、同年9月の秋の大見本市から再開されています。

第50回・80回大見本市

1990年の春の大見本市は、第一回開催から数えて50回目の節目として、浜松町・産業貿易センターで大々的に行われました。開催前日には、東京湾クルーズ船・ヴァンテアン号での船上パーティーが催されました。
2005年初春には、第80回を記念して特別イベントを展開。80回までの大見本市の歴史を展示するほか、「手作り工房」などを展示、出展社143社、来場者4213人、売上54億30百万円となりました。

 
↑前日にパーティが行われたヴァンテアン号(左)と開会式であいさつをする岩田羊二見本市統括委員長(右)

 
↑大盛況となった第80回大見本市。イベント館では、「手作り工房」が好評を博した(右)

第100回春の大見本市と「感謝の集い」

2015年1月16・17日の両日には、記念すべき第100回春の大見本市を浜松町・産業貿易センターで開催しました。また、初日の16日夕刻には大見本市100回記念「感謝の集い」を東京都港区のザ・プリンスパークタワー東京にて開催。販売店、出展社など計750人が出席しました。

 
↑和太鼓演奏、日本舞踊、イリュージョンマジック等のショーが行なわれる中、盛大に執り行われました。

会場を東京流通センターへ移転

2015年9月の第101回秋の大見本市から、会場をこれまでの産業貿易会館から平和島の東京流通センターに移転しました。会場面積が約1.5倍となり、ブース数も増大。イベント館も広くなり、さらに充実した大見本市として開催するようになりました。